自由人と哲学者

こんばんはw
さっき帰ってきました。

駅前の魚民に行って、泡盛と芋焼酎を6~7杯ほどガブガブとやってきました。
今日連れ立った友だちは大学時代のアルバイト仲間。
彼等はそのアルバイトが縁で結婚し、盛岡で楽しく暮らしています。


相手の近況を聞こうと誘ってみたはずだったのですが、気がついたらつい昔話に花が咲き、10年前のことをあれこれと話していました。
大いに笑い、いつものパターン。
「あいつはどうしているだろう」
携帯電話を取り出し、トゥルルルル…
今回は皆、電話に出ることが出来ませんでしたが、都合がつく時は会えない仲間も電話口に集っての大飲み会になるわけです。

途中、彼等の口から「自由人」という言葉が出てきました。
僕のことでした。
僕にとって「上手く折り目をつけられず困っている」ことが、彼等から見ると「自由に生きている」と映っている。
新鮮で、ちょっとした驚きでした。


思春期の頃、誰もがそうであるように、僕も自由を望み、願いました。
今、その望みや願いが叶っているのかと聞かれれば、否です。
ですが、彼等の目から見れば、確かに自由人なのかもしれないとも思いました。


今日は少し酔っているので、僕と哲学の話をしましょう。

「当たり前」といわれる考え方、「本当」という傲慢が漠然と嫌だった僕が出会ったのが、哲学でした。

哲学は多くのものを与えてくれました。
刺激の強い遊びでした。

ただ、とても受け入れられないものがありました。
それが「哲学は学問である」という偽りでした。

ある哲学の学者は言います。
哲学の学者と言うのは、その時点で哲学者たりえない。」
哲学を教える大学教授と、哲学者というのは違うものなのだと言いたい訳です。

哲学を学んだ者なら誰もが知る事実。
それは、宗教と哲学は学問が興る以前から発生しているということ。
宗教がごく素朴な信仰であったように、
哲学はごく素朴な探究心です。

ちっとも難しいものではなく、
ちょっとしたきっかけから始まる「世界を知る冒険」です。

哲学史を覚えたり、哲学書を追いかけるのが哲学だなんて!

誰もが信仰心を抱くように、
誰もが探究心を抱きます。
磨く必要を求められますが、自然体で、誰もが持ち得るものだと僕は考えています。

哲学は学問を超える。
哲学は新しい時代に入っていく。
これが、卒業までに出した僕の結論でした。


こんな風に哲学をしたせいで自由人になってしまった、のかもしれません。
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